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「掛軸 浦上玉堂」
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掛軸 浦上玉堂

浦上玉堂

掛軸画家 浦上玉堂は、1745年に日本に生まれました。ドイツの建築家ブルーノ・タウトに、日本の天才画家であると評価された、日本を代表する画壇です。浦上玉堂は、岡山県に生まれます。若い頃から、学問や詩文、七絃琴などが好きで様々な文化を吸収していました。画家としてすぐに大成していた訳ではなく、鴨方藩で、大目付などを勤めるという、費用に位の高い、上級藩士でした。とはいえ、絵画を描くことに魅せられていた浦上玉堂だけに、毎日のように絵画ばかりを描いたとも言われています。その為か、周囲との調和を上手く取ることができない事も多く、あまり良いように思われてはいませんでした。結果的に、同じ場所にいることのできなかった為、50歳で脱藩出奔することになります。最初は、岡山で過ごしていましたが、結果的に、東北から九州まで 各地を遍歴することに。そして、最終的には、60代半ばからは京都を拠点にした悠々自適な生活を送ることになったそうです。しかし、浦上玉堂はこの60歳を過ぎてからの作品から、素晴らしい秀作を作り出すことになります。大作と言われている「凍雲篩雪図」は、あの歴史的重要人物の、川端康成の愛蔵品として知られている程です。そして、現在では国宝という位置づけになっています。さらに、多くの作品が重要文化財となされており、現代の日本美術界における宝としても知られています。「山中結廬」「深山渡橋図」「一晴一雨図」「鼓琴余事帖」など、数多く存在しており、全国各地の美術館や個人に大切に保管されています。誰のためでなく、自分の信じる芸術を追求し続けた浦上玉堂の作品は、繊細でありながらも、大胆な構図と濃淡の色使いがまさに素晴らしい秀作です。天才という評価を欲しいままにしてきながらも、奢ることは無く、ただただ自分の作品作りに没頭していくその姿は、まさに芸術を生み出す為に生まれたとしか言いようがありません。必ずしらなければいけない重要人物、それが浦上玉堂なのです。